宗教新聞について

9月5日号

昔の日本は男尊女卑であったと言う人は、奈良の法華寺に行ってみるといい。
聖武天皇が日本総国分寺として東大寺を建立したのに対して、こちらは日本総国分尼寺として光明皇后が建立したもの。
それをしのばせる品の良い本堂と、光明皇后に似せて彫ったという国宝十一面観音立像の慈悲深い眼差しに感服してしまうだろう。
今は小ぢんまりとした寺だが、法華寺町と町に名前が付くほど、かつては壮大な寺であった。奈良の昔から、女性は大切にされていたのである
▼と偉そうに言いながら、天地子は初めての訪問。
奈良で「万葉のいけ花」を創始・普及している片岡寧豊(ねいほう)さんに、「まだ行ったことがないの」と、半ばあきれられながら連れて行ってもらった。
寺地は平城宮の東北に位置し、藤原不比等の邸宅を改造したという。
法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めたが、平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられた

▼その一角に、真新しい「から風呂」の小屋が建てられていた。
光明皇后は手ずから、病める千人の垢をここで流したと伝えられている。
ファンの市民が協力して今春、再建し、定期的に焚いて入っているという

▼ちなみに、天地子の故郷のさぬき市には、行基が開いたという「から風呂」がある。
昔、祖母に連れられ行ったことがあるが、熱そうなので入らなかった。
最近まで町の温泉のサウナを愛用していたのだが、「五十を過ぎると血がどろどろになるのでサウナは良くない」という話を浴槽で立ち聞きし、以来、入らなくなった。
片岡さんに法華寺のから風呂を誘われたらどうしようか、迷っている。

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