相談を受けた住職の思案の結果「安穏廟」(新潟県巻町・妙光寺が誕生した。「永代供養墓」の誕生である。核家族化、少子化の進む中で、墓地継承の問題が深く静かに進行している。連載「新聖域考」特別版として、藤田庄市氏に「安穏廟」をリポートしてもらい、「永代供養墓」の問題を考えてみたい。
核家族化の進行は、祭祀の継承者が途切れることとなる。さらに、非婚、離婚、少子化、家族分散などがこれまでの「墓」制度の根本を揺るがすことになってきた。
セミナー実行委員会の代表者の一人、碑文谷創・「SOGI」編集長は開会冒頭「永代供養墓の社会的必要性」と題して講演、こうした状況を踏まえ、「家意識の衰退」、「女性の自立意識の高まり」などにより、「先祖供養から、知人間における死者供養という傾向が生まれ、家の継続に依存しない墓のシステムが必要となってきている」と指摘した。
そのシステムのひとつとして、永代供養墓が注目されることとなったわけである。このセミナーでは、妙光寺安穏廟の小川英慈氏、百観音明治寺多宝塔(東京都中野区)の草野榮應氏、もやいの碑(東京都豊島区)の松島剛氏、東長寺縁の会墓苑(東京都新宿区)の瀧澤和夫氏がパネラーとなって、それぞれの永代供養墓の形態とその運営組織のあり方などについて報告した。
墓地の経営の永続性を保証するためのものであるが、一部には宗教法人の名義を借りて、業者が墓地開発を行う例がまれに見られる。とはいうものの、墓地のほとんどは、伝統仏教の寺院によって管理運営されているものであることには変わりはない。
少し前の話であるが、伝統仏教のある僧侶が新宗教の発展ぶりを見て、「どんなに新宗教が伸びようとも、我々の驚異にはならない。我われはお舎利をおさえておりますので」とユーモア混じりに話したことがある。
当時はまさにその頃の状況を言い当てた表現と受け取ることができた。事実、新宗教教団と、伝統仏教の間で、墓地問題をめぐっての軋轢のあった。新宗連加盟教団の中にも、独自の墓苑を設置した教団があるが、宗教間対話への配慮からかその後の拡大は行っていない。
つまるところ、「生きている人間の救済を行う新宗教」と、死後の安穏をはかる伝統宗教」という住みわけができ上がっていたわけである。
しかしそうした状況がいつまでも続くわけには行かなくなってきたのである。既存の墓を媒介とした寺と檀家の関係が、墓の継承者の問題で崩れ始めてきたのである。
セミナーでの報告も、各永代供養墓を設置するに当たり、これまでの寺と檀家という関係にこだわらず、永代供養墓を媒介としたネットワークを構築して、新たな「縁」を作り出していることがふれられている。
これまで新宗教教団は、貧・病・争の解決に取り組み、戦後の日本の人心を救済してきた。しかし、そうした新宗教に結ばれた人々も「死」というものから免れることはできない。死の迎え方、死後のあり方を考える時に来ているといえよう。
新宗教教団の中でも、松緑神道大和山や、神ながら教のようぎ合葬墓を設置し納骨時に儀式を行っている教団もある。自ら信仰する教えのもとに信仰に結ばれた人ともに永遠の眠りにつくということも信徒を安心の境地に導くことになるのではないか。
地方公共団体の墓地でも、「永代供養墓」ならぬ合葬墓、集合墓の計画が進められている。すでに横浜市では、昨年の九月二十五日付け本紙の「新聖域考」で紹介されているように、一九九三年に合葬式納骨施設が竣工、募集を開始している。東京都でも来年度に開設が予定されているという。
こうした行政による合葬墓は、急増する墓地の需要にこたえるとともに、将来の継承者不在、非婚者の死後の問題に対応しようと計画されたものである。
ここで問題となるのが、行政の設置した施設で設置者による宗教儀式、祭祀が行えないということである。葬られている人の遺族か、それそれの信仰にもとづき、その施設で個々に読経をしたり、祝詞を上げて礼拝、供養をすることはなんら問題がない。しかし、参拝する人のない故人に対し施設の設置者が何らかの行為をしようとしたとき、設置者が行政であった場合は、宗教的行為は憲法上行えない。遺族のある故人を含めても「合同慰霊祭」などということはできない。
安穏廟では、妙光寺の檀家とならずとも、寺側と契約者との約束として、妙光寺の続くかぎり供養されることが保証されている。
小川氏は「行政の合葬墓の設置につて、宗教者はもっと問題意識を持つべきではないか」と指摘している。
下部のコンクリート部分は一〇八の納骨カロートからなり、それが塚をぐるりととりまいている。ただしカロートは地上にあり、上部にはサツキが花を残していた。納骨部の壁面は、戒名あり俗名あり、「心」や「平和」の文字や文章ありで、自由な雰囲気が漂う。
つまり安穏廟は墓なのである。それも「永代供養合葬墓」とでもいえばいいのだろうか、意匠は古墳風ながら、内実からすると時代の最先端をゆく墓である。だから最初の一基が造られたのはまだ一〇年前、一九八九年のことであった。そして安穏廟は、井上治代氏(21世紀の結縁と葬送を考える会)の調査によれば現在全国に約一五〇ある「永代供養合葬墓」のルーツ的存在となっている。
では、安穏廟のどこが最先端なのであろうか。それを探ってみよう。
安穏廟発足のきっかけは、妙光寺の檀家に生まれた五十代の女性姉妹の訪問から始まる。一人は離婚しており、一人はシングルだった。二人は、実家の墓に入りずらいので、自分たちのあたらしい墓を建てたいという。だが、その墓を守る人も家はなく、そのまま無縁になるのは明らかだった。小川住職が渋っていると、「守る人がいないと墓地を買えないのか」と二人に詰問された。小川さんは「脅迫された」と表現したから相当な勢いだったらしい。
その時、小川さんが躊躇したのも無理はない。現在の墓制は、江戸時代の檀家制度に明治時代の民法が結びついて成立したままの形が基本になっている。つまり、墓は先祖代々の「家」の墓であり、承継者を必要とする。そして、伝統仏教の檀家制度はこの「家墓」にのっかっているのだから、守り手がなくなる墓など許容できないということになる。承継者については、近年の公営や民間の霊園でもロッカー式納骨堂も含めて踏襲されてきた。小川さんのためらいはもっともだったのである。
しかし、さきの二人姉妹のような場合、今の墓制では死後の行き先がないという「差別」に小川さんは気づく。核家族化、少子化、シングルを貫く女性の増大など、家族をめぐる社会変動に現在の墓制はもはや対応できない。だから檀家制度にのっかっている寺は根元から掘り崩されている。裏返せば、檀家制度がいかに寺を縛っているかということだ。小川さんはそう痛感する。
どうしたか。結論からいえば、国柱会の合祀墓などを参考に、小川さんは承継者を必要としない墓を造ったのである。「家」の墓ではなく、だれでも希望する者が契約して墓に入れるようにした。そして墓は寺が責任をもって守り、供養し続ける。つまり「永代供養」だ。無縁には決してならないのである。
形態は「合祀」とした。本来ならばお骨を最初から一緒にするのが〃理想〃であるのだが、現在の人々の気持ちを配慮して個別の納骨カロートとした。家墓ではないから血縁者でなくとも共に入れるし、継承することもできる。年会費(通信事務費。三,五〇〇円)が支払われなくなって一七年たつと、中央の小山内部の納骨洞の甕に納められる。甕は四つあり、骨が上から押しつぶされないよう設計に心が配られている。
永代使用料は八五万円。造成費分を差し引いた分が、安穏廟を維持管理し、供養を続ける基金となる。永代供養は精神とともに経済的基盤をきちんと備えているのである。この基金を運用して、イベントやチベット仏教僧への援助にも大いに活用している。
安穏廟のことがメディアに報じられると反応は大きく、一基目はすぐ満杯になった。希望者の半数は県外在住者だった。安穏廟を求めた方々の申込みの理由をみてみよう(一九九三年三月現在、二三二名。東京都女性財団助成研究『変わる家族と女性と墓』より。
子供がいない(二四%)。子供が娘だけ(二一%)。シングルの女性(一一%)。夫、夫の家の墓と別を希望(一一%)。子供に頼れない、頼りたくない(一〇%)。再婚(七%)。離婚女性(六%)。趣旨に賛同して(五%)。その他(五%)。
核家族化、少子化の影響がみてとれるのは明らかだ。が、「娘、女性、女性」と続くのをみると、現代の墓問題は「女性問題」でもあることが浮かび上がってくる。
もう一つ指摘しなければならないことがある。安穏廟ができるきっかけに、さきの姉妹が寺に押しかけてきたことがあった。その気持ちと行為を組織だてると、これは「運動になるだろう。安穏廟とならび「永代供養合祀墓」のやはり先駆け(一九八九)である「もやいの碑」(東京・すがも平和霊苑内)を調査した松本由紀子氏は、こうした墓への動きを「散骨」とともに「みずから死後の問題について考えた人々のあいだから起こってきた」「新しい墳墓のあり方を求める運動」(「葬法の革新を求めて」『消費される〈宗教〉』)であるという。
「運動」は生者の為すことであるゆえ、そこには生前のつながりができる。合葬される者同士、この世での結びつきがあるということだ。安穏廟のフェスティバルはその代表例であろう。まさに「血縁から結縁へ」である。
ひとつつけ加えよう。安穏廟が成功したのは、すでに言及した社会背景が、むろんある。しかし、引用した同調査のなかに、安穏廟を選んだ理由(複数回答)として「住職が信頼できるから(五五%)」が一位にある。また、安穏廟を求めて満足したこと(複数回答)でも「住職が信頼できる(四八%)」が二位である。みるところ、小川住職の仏教者としての熱意と意識、思想があってこそ安穏廟は成功した。一方、妙光寺の檀家の理解と働きを、小川さんは強調する。こうした宗教的バックボーンがなければ、人々は安心して安穏廟には集ってこなかったろう。「永代供養合祀墓」が時代の要請とはいえ、安穏廟成立の要因として、小川住職と妙光寺の特殊性はきわめて大きいと思う。そのソフト面を学ぶことがなければ、続出する「永代供養合祀墓」は現代墓地の中の単なるひとつの形態になるだけのことである。
理事会に先立ち、午後一時から解脱会本部道場の神前に参拝。同会の礼拝様式での参拝と解説が行われたあと、教団代表者による玉串奉奠が行われた。
このあと、会場を地下の研修ホールに移して理事会が開催された。黙祷につづき、会場提供の解脱会を代表して岡野聖法法主があいさつ。また、岡野武徳理事長が同会の法燈継承者・法嗣(よつぎ)である岡野英祥さんを紹介したあと、深田理事長が開会を宣言した。
委嘱状の伝達が行われ、このほど四国総支部会長に就任した竹野浩市氏(立正佼成会)と奥羽総支部事務局長に就任した黒川和則氏(立正佼成会)に深田理事長から委嘱状が手わたされた。
審議に移り、故折茂正光前新宗連事務局長の逝去にともない、新事務局長に柴田卓也氏(円応教)が任命された。また、日本宗教連盟監事に天谷忠央・事務局参与を、日本短波放送監事に宮本けいし事務局担当理事を推薦することを了承。新宗連青年会事務局長に斎藤京子事務局員が就任することが報告された。
平成九年度の本部事業報告及び総支部活動報告を承認したあと、酒井教雄財務委員長が平成九年度決算を報告。左藤滋光監事が監査報告を行い、原案通り可決した。
ついで、「新宗連結成五十周年事業・三カ年計画」について南佳伸・企画委員会副委員長が同委員会第二部会で作成した資料をもとに概要を報告した。同氏は、新宗連の現状と課題の概略を説明、今後、三年計画の詳細を十月の理事会で報告、来年六月の理事会で大綱案を提出したいとし、検討を重ねていくことを申し合わせた。また、新宗連の将来構想の原点ともなる教団代表者による「教団人セミナー」を企画委員会として重要視して開催していくことを報告した。
ついで、力久隆積宗教対話プロジェクト座長が、このほど国際宗教研究所の中に設置される「宗教情報リサーチセンター」の概要を報告、協力態勢について協議した。
ついで各種報告が行われ、企画委員会から教団人セミナーを九月十七、十八の両日で開催することが報告された。信教の自由委員会からは、日本統治下の韓国おける宗教弾圧の実態調査について、政治委員会からは、最近の政治状況について報告があった。
宗教法人研究会から7月7日に第四十四回拡大宗法研を開催すること、十月二十三日に中国総支部の受け入れで行われる全国総会の日程内容などの報告が行われた。また、新宗連青年会からは、第三十三回八・一四式典の開催と中国青年平和使節団の報告が行われた。
会議終了後、この二月に竣工された解脱会本部の建物内部を見学したあと、会食が行われ、なごやかに歓談のひとときを過ごした。
新宗連の全国総支部会議が十一日理事会に先立ち午前十時から解脱会本部研修室で開催された。 深田充啓理事長あいさつ、新役員の紹介のあと、力久隆積九州総支部会長が議長となって議事が進められた。
まず総支部の会費や寄付金などについて意見交換を行った。 また、総支部の規則について協議、各総支部の活動形態に則したものにしていくことを申し合わせた。
このあと、それぞれの総支部の活動報告が行われたが、こうした意見交換がそれぞれの総支部活動を展開していく上で参考になることを改めて確認した。
各種学習会の講師リストの作成など具体的提案も出された
酒井委員長が開会挨拶を行ったあと、協議に入り、a新宗連結成五十周年事業・予算立案、b総支部会費の現状、c宗教情報リサーチセンターへの協賛、d平成九年度決算案の各議案について協議を行った。
また、十一日に開催される決算理事会に、財務委員会から提案する事項について確認を行った。 委員会終了後、外部講師を交え、日本版ビッグバンと金融状況の現況について学習会を開催した。
同フォーラムは、新宗連青年会の行動の柱として『出会い・啓発・学習』を目的に、全国十一連盟の持ち回りで開催される。二十回目を迎える今年は、北海道連盟(松浦道記委員長)の受け入れで、「祈りあおう この出会いから…」をテーマに、他教団の青年と触れ合い、信仰の尊さを再確認するとともに、友情を深め合った。
六日午後一時、黙祷で開会。新井委員長のあいさつにつづいて、今回の会場を提供した、立正佼成会札幌教会の教会長でもある久保欣士・北海道総支部会長が祝辞を述べたのち、深田充啓・新宗連理事長からのメッセージが披露された。
少憩のあと、立正佼成会の浅野理恵さん、パーフェクトリバティー教団の澤田亜哉子さん、松緑神道大和山の下川原幸夫さんの三人が信仰体験発表を行い、それぞれの教えによる体験とその感謝を語った。
ついで、田澤豊弘・松緑神道大和山教主が「信仰継承二代目、三代目におくる祈りの尊さとは」と題して、基調講演を行った。
はじめに昨年一月の初代教主逝去にともない、田澤氏が第二代教主を継承した際の記録のビデオ『御経綸(みしぐみ)のまにまに』を上映。
ついで、田澤氏自身が信仰二代目で、幼い時に両親の信仰している姿が心に残っており、その体験から「信仰継承として大事なことは、子供に強いることでも、説教することでもない。ただ、わが生き方を子供に感じとってもらう信仰姿勢こそが大事」と強調した。
このあと、十五グループに分かれ、「信仰体験を語り合う」をテーマにグループディスカッション。自己紹介の後、基調講演についての感想など約二時間にわたって意見を交換した。
ついで、新札幌パレスホテルに場所を移し、懇親会。この日、札幌市内は「よさこい祭」の真っ最中。この祭に参加している立正佼成会札幌教会のメンバーが、懇親会会場にかけつけ、鳴子を手に踊りを披露。参加者も一緒になって踊り、会場は「よさこい祭」さながらの盛り上がりをみせた。
翌七日は、朝八時から教団別礼拝が行われ、十教団それぞれが、各教団の礼拝形式で朝の祈りを行った。
会議室に場所を移し、円応教、解脱会、善隣教の青年部の活動報告ののち、新宗連青年会の活動をスライドを使って紹介した。
ついで、二回目のグループディスカッション。テーマは「自分の教団(教会・支部)の青年部活動を通して」。グループワークも二回目ということで、終始明るい雰囲気で行われ、それぞれの青年活動の悩みなどが話し合われた。
昼食後、全体会。司会者が会場の参加者を突然指名し、感想を聞いて回った。「いろんな方と話をして、自分の教団を違う角度から見直すことができた」「教義は違っても目標はひとつだということがわかった」など様々な感想が述べられ、最後に、橋本浩成・北海道総支部総務がまとめを述べた。
閉会式に移り、松浦青道連委員長のあいさつのち、来年のユースフォーラムを受け入れる北陸連盟に同委員長から青年会旗が渡されると、会場から大きな拍手が沸き起こった。
最後に、松緑神道大和山青年会応援団がエールを送り、ユースフォーラム’98の幕を閉じた。
「湖と人間」をテーマに、一九九六年十月にオープンした琵琶湖博物館は、開館約一年七ヶ月で百六十万人を突破、この種の施設としては異例の人気を集めている。同博物館は古い時代から人間と深い関わりのあった琵琶湖の多方面な価値をあらためて解明し、人間の生活との関わり、将来の湖と人との共存を模索していくことを目的としている。
展示は、「琵琶湖のおいたち」「人と琵琶湖の歴史」「湖の環境と人びとのくらし」「淡水の生き物たち」というテーマで構成され、見学者が順番に回ると博物館のねらいとするところに関心が向くようレイアウトがなされている。
合同学習会のテーマも、その博物館のコンセプトに合わせ、「水と人との関わりを考えてみませんか」。青近連委員は、五月十六日に同博物館へ事前調査におもむき、テーマに沿った見学シートを作成した。午前十時三十分、両連盟の参加者が集い、学習会がはじまり、萩原直貴・青近連副委員長が「信仰するものとして心の交流ができれば」と開会のあいさつを述べた。このあと、青近連委員の世話役のもとに、十グループに別れて見学。参加者は見学シートにある質問項目の答えを求めて、展示物をじっくり見たり触ったりしながら博物館内を巡った。見学後は、外の広場や屋上広場などを利用して、グループディスカッションを行い、学んだことの分かち合いを行った。
最後に全体会が行われ、グループごとで話し合ったことを代表が発表した。「昭和三十年代、水道がないときの『農村の暮し』を再現したコーナーを見て、昔の人は工夫をして生活していた」、「身近な淡水にいたメダカ、ザリガニなどを見て子供の頃はいたけど今は見当たらない」などの感想が出された。 また、「自然にとって良いことは何かを考えるのは難しい。今回の学習会は環境問題について宿題を与えられた」、「私の家は岐阜の名水百選のところにある。それを汚しているのも私の家」と自分の生活にからめて反省した人もいた。発表を受け、志水弘忠・青中連委員長があいさつ、「良いところは伸ばす。悪いことは思い切ってやめる。そのような青年を育成していきましょう」と述べ閉会した。
午前十時三十分、新大阪駅をマイクロバスで出発。車内で開会式を行い、斎藤賢一郎・同推協委員(妙智會教団)があいさつ、「私も現地学習会に参加するのは初めてですが、皆様とともに学びを深め、有意義な研修にさせていただきたい」と述べた。
現地到着後、西光寺を見学した。西光寺は、日本初の人権宣言ともいわれる『水平社宣言』を起草した西光万吉氏の生家。ここには西光氏の墓もあり、参加者はそれぞれ合掌礼拝を捧げた。
このあと、川をはさんで西光寺の向い側にある「水平社歴史館」を訪れた。歴史館は、部落解放・人間解放を求めて立ち上がった先人たちの足跡を後世に伝え、人権の未来を参観者と共に切り開いていくことを目的に、今年五月一日に開館したばかり。仲林弘次・歴史館研究員から展示の説明を聞いたあと見学した。見学後、隣接の部落解放センターで、仲林研究員が「水平社運動の目指したものと実際」と題して、約一時間にわたって講義した。
仲林氏は、水平社創立を担った西光、阪本清一郎、駒井喜作の三人を取り上げ、「彼らの水平社運動がそもそも目指したものは、人格形成運動ではなかったかと思います。右も左もない。是は是、非は非として、差別に対して真っ向から闘う。そして、闘いを通してそれぞれの人格をどのように形成していくのかと、みずからを鍛えようとしていたのではないか」と述べ、水平社運動の根本に人間解放が謳われていることに触れた。
「また、水平社というと西光万吉さんというふうに見られますが、歴史館では西光さんだけを大きくは扱っていません。西光、阪本、駒井さんの三人が軸となって水平社を作ったし、また、無名の活動家たちがたくさんいたわけで、そうした人々に光を当てようとしている」と展示のねらいについて述べた。
理事会では、はじめに全参加者が平和への祈りを捧げたあと、白柳理事長が開会あいさつを行い、審議に入った。会議では、平成九年度日本委員会事業報告と決算を審議、それぞれを承認した。
ついで、二○○○年の同委員会創設三十周年に向け、実行委員会を設置し、準備に着手することを決議した。
また、各委員会からの報告では、二十一世紀の日本と世界のあり方について、宗教者と政界、学界、言論界などの代表が討議を行う『サミット21』の第四回シンポジウムを十一月二十八日に開催することを決定した。テーマは『21世紀の日本像〜対立から共生へ〜』。
また、開発・環境委員会からは、七月二十八日に、東京・杉並の立正佼成会セレニティーホールで、「環境セミナー」の一環として、映画「ガイア・シンフォニー」の上映と同映画の監督・龍村仁氏による講演を行うことが報告された。
はじめに、神社本庁の人事異動により、岡本健治氏に代わり、工藤伊豆氏の理事就任を承認した。ついで、宗教教誨事業功労者への表彰について審議を行い、日宗連として表彰を行うことを決定した。去る三月三十一日、中央教育審議会が発表した『幼児期からの心の教育のあり方について』の中間報告に対しては、各協賛団体ごとに対応することとした。また、「情報公開法案」の国会審議について報告が行われた。
トランスパーソナルとは「個を超える」「個の境界を横断する」という意味で、「個」の健全な確立を踏まえたうえで、自他の限界を超えた視点をもち、個人の内面と社会や環境とのつながりや世界的な規模で広がる社会・環境の荒廃などの関係を模索することを目的に、講演・分科会・パネルディスカッション・ワークショップなどが年一回行われている。
今回は『[魂の航海術]〜混迷する時代の心の指針を求めて』をテーマに、現状をあるがままに受け入れる力の源「魂」が人生にどれだけの意味をもち、かけがえのなさを生み出すのかを、セラピスト・臨床心理士、翻訳家、カウンセラー、宗教家などの様々な領域の専門家からの講演や分科会などが行われた。
五月三十日午前十一時にオープニングセレモニー。つづいて、トランスパーソナル心理学の生みの親といわれるスタニスラフ・グロフ博士が基調講演を行った。
昼食をはさんで午後二時から、「闇からのメッセージ」と題して山中康弘・京都大学教授の講演が行われた。山中教授は、多発する少年・少女による教師や警官への暴行や殺人事件から、青少年の心の傷を社会問題のシグナルと以下に受け止めるかを述べ、「現代は物質的には充たされ、『幸せ』になるための条件は整っている。しかし物質ばかりを追い続けた結果、人間という形でこの世に存在した意味を追求しなかったため、心の領域は不幸せに陥っている」と述べ、青少年の犯罪を「魂の叫び、すなわち救いを求めるシグナルと受け止められないか」と語った。
最後に、オーストラリアのアボリジニーの楽器を使った、アート・パフォーマンスを行い一日目が終了した。
二日目は臨床心理士の藤見幸雄氏、教育評論家の斎藤次郎氏、宗教学者の山折哲雄氏らによる講演、研究発表が行なわれた。午後一時四十五分から四時三十分まで、グロフ博士、山折氏、斎藤氏、浄土真宗本願寺派万行寺住職の西光義敞氏を迎え「魂の航海術をめぐって」と題しパネルディスカッションが行われた。最後に司会の菅氏が「現代に起きている事件や子供たちの問題の原因のひとつに『通過儀礼』がなくなり個人個人に任されてしまっているという状況がある。これまで人間の生活はいろいろな通過点を念頭に置いて文化は作られ、あらゆる行事が『通過儀礼』的側面を持っていた。あらためて過去の『通過儀礼』を見直して、日常にいかに根付かせていくかが問われている」と結んだ。
そのあと、海外での体験報告、クロージングシンポジウムが行われ二日目を終了した。
三日目の六月一日は会場に文京区後楽のプリズムAでグロフ博士によるホロトロピックブレスワークをはじめとしたワークショップを実施し、参加者自らが体験、実感するプログラムを行った。
はじめに、年間四百万トン発生する東京二十三区のゴミの分別・収集から処理・処分までの流れと、資源循環型社会を目指す東京都の取り組みを紹介するビデオが上映。三百年前からつづく東京港の埋立処分場の現状と、処分場を一日でも長く利用するためにゴミの減量化・分別収集・リサイクルの必要性を学んだ。つづいて、谷川哲男工場長から、清掃工場の役割としくみについて説明があった。役割の一つとして、ゴミ焼却により得た熱を地域冷暖房施設(光が丘で一万二千世帯)へ供給するなどの「熱エネルギーの有効利用」をあげた。また、各地で問題となっているダイオキシンについて「発生の原因はゴミの不完全燃焼にある。八百度以上の高温で燃やせば発生は防げる」と説明した。
このあと施設見学を行ない、最後に質疑応答があり「清掃工場が一番困るゴミの出し方は」の質問に対して、谷川工場長は「布団など粗大ゴミの誤った出し方が焼却作業の中断につながる」と指摘した。
吉原議長の開式あいさつにつづき、戦時中の親子のつながりを綴ったビデオ「戦争と子どもたち」を上映。特攻隊員が出撃前に書いた「母への手紙」が朗読されると、会場からすすり泣きがもれた。
一同で黙祷のあと、「奉献」が行なわれ、青年女子十五人が灯を捧げた。つづいて参加教団それぞれの様式で教団別礼拝が行なわれた。
休憩をはさんで、三月に行なわれた「第十三次アジア青年平和使節団」に参加した煤賀武さんが体験報告を行ない、戦争の傷跡を目のあたりにして、新たに平和への祈りと行動を誓った。
ついで「祈り、平和への旅立ち」と題し、新宗連大阪事務所の生田茂夫所長が講演を行い、新宗連青年会の平和活動の足跡を紹介し、「被害者、加害者を乗り越え、慰霊交流を通じて平和な世界をつくることが、戦争犠牲者の願いでもある」と語った。
最後に、教団代表者による献華があり閉式した。
久住山は、標高一七九一メートル。九州では二番目に高い山として知られ、年間を通して登山者も多い。一方で、遭難者も後をたたない状態だった。
一九七八年に、地元の立正佼成会青年部が、久住山登山口付近に慰霊塔を建立して、遭難者の慰霊祭を毎月営むようになってから、遭難者が少なくなったといわれる。
大分県協議会は、これを継承して九五年から「祈りの集い」と呼称し、同慰霊供養とあわせて世界平和の祈りを捧げている。
式典は、ミュージックベルを合図に開式。黙祷のあと、森議長が登壇して開会のあいさつ。一人ひとりが信仰心を深めるとともに信仰心をもつ人を増やしていくことを呼びかけた。
来賓あいさつのあと、それぞれの様式に従って教団別礼拝が行われた。ついで、体験発表が行われ、中島敬太さん(立正佼成会中津教会)、阿部文子さん(パーフェクト リバティー教団別府教会)が教えを学びそれを実行することによって自分自身が変わった体験を述べた。
閉式後は、「ふれあいコンサート」が開かれ、別府市内で活動中のグループ「響ウィンド アンサンブル」の演奏を聴いた。
と き:七月三十日(金)午後一時〜五時。
ところ=立正佼成会セレニティーホール(東京都杉並区和田一−三−二〇)。
主 催・中央学術研究所。
内容=遺伝子検査、診断技術の進歩は恩恵と問題とを提示している。
シンポジウムでは技術の是非ではなく、診断対象となる患者とその家族への支援、人権の擁護の視点から討論を行う。
コーディネーター=伊藤道哉東北大教授。
パネリスト=武部啓近畿大学教授、恒松由記子国立小児病院血液腫瘍科、長谷川知子静岡県立こども病院小児科。
コメンテーター=佐藤孝道虎ノ門病院産婦人科。
参加希望は中央学術研究所まで、電話(〇三−三三八二−五六八七)またはFAX(〇三−三三八一−九七七一)で申し込む。先着二〇〇人。