本年十月に結成五十周年を迎える新日本宗教団体連合会(新宗連、深田充啓理事長)は、記念行事の一環として、四月二十三日に大阪市北区のグランキューブ大阪(大阪国際会議場)で「現代における宗教の役割研究会」(コルモス、中川秀恭会長)との共催によるシンポジウム「21世紀 日本の宗教を考える」を開催する。
「宗教不信・宗教忌避の風潮に宗教はどう答えるか」「21世紀、日本人はどんな生き方をするのか」「日本の宗教に21世紀の役割はあるのか」。これらの視点から、新世紀における宗教及び宗教団体が歩む道を考える場を、新宗連とコルモスが協同して設定した形のシンポジウムとなり、新宗連の加盟教団やコルモス会員のほか、国内の宗教団体、宗教関係者に幅広く参加を呼びかける。また、一般紙やインターネットによる一般公募も行う。
基調講演では、作家の井沢元彦氏、北里大学の養老孟司教授(医学博士)、国学院大学の石井研士教授(宗教学者)が日本宗教界への提言を行う。この提言に対し宗教者の立場から見解を示すのは、天理大学の金子昭助教授、浄土宗應典院の秋田光彦住職、パーフェクト リバティー教団文教部の川島通資次長の三人。冒頭では一般市民の宗教へ対するインタビューを収録した映像「街角アンケート」も紹介される予定で、社会からの声に宗教界がどう答えるかが注目される。パネリスト六氏にコーディネーターを務める東洋大学の西山茂教授(宗教社会学者)を加えたパネルディスカッションでは、参加者の声も交え、大きな岐路に立たされた日本宗教界の未来を探る。
井沢 元彦(いざわ もとひこ)作家
一九五四年名古屋市生まれ。早稲田大法学部卒。TBS入社後、報道局放送記者時代「猿丸幻視行」で第二十六回江戸川乱歩賞受賞。退社後、執筆活動に専念。歴史推理・ノンフィクションに独自の世界を開拓。
主な著書「言霊(ことだま)」「穢れと茶碗」「隠された帝」「義経はここにいる」など。週刊ポストに「逆説の日本史」など数誌で連載中。日本推理作家協会常任理事。
養老 孟司(ようろう たけし)北里大学教授
一九三七年鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒。解剖学専攻。医学博士。同学部教授、同大学総合資料館長、同大学出版会理事長を歴任。退官後、北里大学教授(大学院医療人間科学)。大正大学客員教授(人間学原論)、東京大学名誉教授。八九年「からだの見方」でサントリー学芸賞を受賞。主な著書「ヒトの見方」「解剖学教室へようこそ」「カミとヒトの解剖学」「日本人の身体観の歴史」その他多数。
石井 研士(いしい けんじ)国学院大学教授
一九五四年東京生まれ。東京大学人文科学研究科宗教学・宗教史学専攻博士課程単位取得。同大学文学部助手、文化庁宗務課専門職員を経て現職(国学院大学文学部教授)。博士(宗教学)。
主な著書「銀座の神々=都市に溶け込む宗教」「都市の年中行事」「社会変動と神社神道」
金子 昭(かねこ あきら)天理大学助教授
一九六一年天理市生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(哲学)。九五年和辻賞(日本倫理学会賞)受賞。天理大学教養部助教授。倫理学、哲学的人間学、天理教学が主たる研究分野。天理教では、天理やまと文化会議委員、天理教社会福祉研究会委員も勤める。
主な著作「シュヴァイツァー その倫理的神秘主義の構造と展開」「天理人間学総説=新しい宗教的人間知を求めて」など。
秋田 光彦(あきた みつひこ)浄土宗應典院住職
一九五五年大阪生まれ。明治大学卒。映画「狂い咲きサンダーロード」「アイコ16歳」などのプロデューサーとして活躍後、佛教大学仏教学科を経て僧侶となる。以後、教化情報センター事務局長(現在は次長)として宗教とメディア、都市と聖性をテーマにイベント、出版をプロデュース。九七年に劇場寺院・應典院を再建、演劇、アート、セラピー、ボランティアなど「癒し」のイベントを発信している。芸術とヘルスケア協会理事。
川島 通資(かわしま みちすけ) パーフェクト リバティー教団文教部次長
一九三二年福岡県生まれ。五四年東京大学文学部哲学科卒。六四年同学部宗教学宗教史学科卒。七二年同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。七四年PL学園女子短期大学に奉職。八四年同短期大学学長。退職後は教団の教学関係の仕事に従事している。
著書「PL処世訓入門」
西山 茂(にしやま しげる)東洋大学教授
一九四二年埼玉県生まれ。東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程満期退学。東洋大学社会学部教授。専門分野は宗教社会学。研究主題は宗教運動論、教団組織論、現代宗教論。所属学会は日本宗教学会(理事)、日本社会学会(社会学教育委員)、「宗教と社会」学会(常任理事)など。
主な著書「現代人と宗教」「新宗教事典」「新宗教教団・人物事典」「リーディングス日本の社会学19・宗教」など。
新宗連は結成五十周年に向け、これまでの標語に変わるスローガンを九日の理事会で決定した。新しいスローガンは「信教の自由を守ろう」「宗教協力を進めよう」「世界の平和に貢献しよう」。
新宗連では一九九八年十月から結成五十周年に向け準備を進めてきているが、その中で新宗連の理念や目的、活動を新宗連内外の関係者に分かりやすく伝え、理解と協力を得るスローガンについて検討を重ねてきた。
これまで新宗連では「新宗教新聞」に掲載されている四つの「標語」を使用してきた。新スローガンは、この「標語」に込められた精神を継承し、これまでの活動の歴史、時代状況の変化を総合的に検討し、決定したもの。
新宗連の理念や目的、活動を、加盟教団および新宗連の総支部など、信徒・信者をはじめ多くの関係者にわかりやすく伝え、理解と参加・協力を得るためとする。
また同じく、諸宗教をはじめ一般社会からも、新宗連の目的・活動について幅広く理解を得るためとする。
これまで新宗連では、一九六五年(昭和四十年)六月五日付の「新宗教新聞」(第三一四号)にはじめて掲げられた四つの「標語」(『信教の自由』『政教分離』『宗教協力』『国民皆信仰』)が長く使われ、親しまれ、それが新宗連活動の指標となってきた。
新スローガンは、この「標語」に込められた精神を継承し、それに基づく活動の歴史を再評価しつつ、時代状況の変化にも目を向け、五十周年と二十一世紀に相応しい、誰にもわかりやすく、唱えやすい形の「スローガン」となっている。
三つのスローガンは、新宗連の「寄付行為」の「目的」及び「事業」に謳われている重要な内容を含んだものであり、新宗連活動の根幹をなすものである。
▼「信教の自由を守ろう」とのスローガンに、われわれは以下の意味を込めていく。
*信教の自由は基本的人権の最も根幹をなすものであり、すべての宗教活動はこの信教の自由なくしては成り立たない。
*信教の自由は、それぞれの宗教あるいは宗教者が相互に尊重しあうことを意味している。
*信教の自由は、信仰を強制されない自由をも含んでいる。
*しかしながらわれわれは、個人の信教の自由を尊重しつつも、すべての人の宗教心・信仰心を涵養することが使命であるとの信念において共通している。
*個人であれ、団体であれ、信教の自由が保障されるためには、当然政教分離の原則が貫かれていなければならない。「信教の自由」と「政教分離」は密接不可分のものである。
*われわれは、信教の自由を守るためには敢然として行動する。
▼「宗教協力を進めよう」とのスローガンに、われわれは以下の意味を込めていく。
*われわれは、すべての宗教は、その成り立ち、教義や儀礼、布教や教化の仕方など、形の上において異なるもののように見えて、その本質においては一つであるとの共通認識に立つ。
*「宗教協力を進めよう」とのスローガンは、信教の自由を守り世界の平和に貢献するためには宗教者あるいは宗教教団相互の協力が必要不可欠であると考えるものである。
*宗教協力の中に、宗教間の相互理解のための対話促進・霊性交流・相互学習などを含むものとする。
▼「世界の平和に貢献しよう」とのスローガンに、われわれは以下の意味を込めていく。
*新宗連の究極の目的は、宗教協力を通じて人類の福祉と世界の平和に貢献することにある。
*世界の平和の中には、地域レベルの平和から国際的なレベルの平和を含むものとする。
*世界の平和への貢献の中には、生命、人権、環境、軍縮、貧困など平和の条件となる諸問題への取り組みを意味するものとする。
二〇〇一年二月九日
「21世紀 日本の宗教を考える」シンポジウム実行委員会では、一般参加者を広く公募する。
〈一般参加の申し込み方法〉
往復はがきに郵便番号、住所、氏名、年齢、職業、返信用に自分の住所、氏名を明記の上、郵送。先着100名まで。
〔申し込み・問い合わせ先〕
〒550ー0006大阪市西区江之子島1の8の21の111「21世紀 日本の宗教を考える」シンポジウム実行委員会06―6443―7179。または新宗連事務局03―3468―5551。
〈日 時〉
2001年4月23日(月)午前十時三十分から午後五時
〈会 場〉
グランキューブ大阪(大阪国際会議場) 会議室1001〜1003号室
〒530―0005大阪市北区中之島5の3の51 電話06―4803―5555
●車で 関西国際空港から約60分 大阪空港(伊丹)から約30分 新大阪駅から約20分 大阪駅から約10分 難波駅から約15分
●バスで JR大阪駅前から大阪市バス(53系統船津橋行または幹55系統鶴町四行)で約15分「堂島大橋」下車すぐ
●電車で JR大阪環状線「福島駅」から徒歩10分 JR東西線「新福島駅」(2番出口)から徒歩10分 阪神電鉄「福島駅」から徒歩10分 大阪市営地下鉄「阿波座駅」(中央線1号出口・千日前線9号出口)から徒歩10分
304台収容駐車場 駐車料金1時間500円
財団法人新日本宗教団体連合会では、結成五十周年を迎える今秋、一般からの宗教問題の問い合わせや相談に応ずる「宗教問題電話相談室」を開設する。
この電話相談室は、ボランティアによって運営され、新宗連ではその募集を行うこととなった。
この相談室は、最近の社会的風潮にかんがみ「宗教批判、あるいは宗教忌避の風潮が一般に広がっているが、宗教をめぐる諸問題について、ひとつひとつ不安を解消し、問題解決の糸口をつけるなど、宗教への信頼を取り戻す運動の一環とする」ことを目的として開設するもの。「もしもし宗教相談室」との略称も考えられている。
同相談室は新宗連結成五十周年記念式典のあと、十一月から開設される予定で、新宗連加盟教団の信徒を含む関係者から、ボランティアを募集する。ボランティアの資格は、二十五歳以上で、月二回以上、平日の午後相談に従事できる人で、六月から開催される研修会(月二回、八月は休み)に参加できる人。
ボランティアの募集は各加盟教団を通じて行われるが、詳細については、新宗連事務局(電話03―3468―5551)まで。
新宗連(深田充啓理事長)は、九日午前十時から東京・杉並の立正佼成会法輪閣で全国総支部会議を開催した。午後の理事会に先立って行われ全国十一総支部の会長、事務局長が出席した。
四月二十三日に大阪で開催される結成五十周年記念シンポジウムについて、総支部ごとに参加を呼びかけていくことを確認した。
また、本部企画委員会から提起された全国規模の環境保全運動について協議、本部に環境に関する委員会の設置を理事会に提案することとした。委員は各総支部から選出されることとして、総支部の環境活動の情報交換なども行われる。
都道府県の宗教連盟についても状況報告や意見交換し、継続して対応を検討することを申し合わせた。
財団法人新日本宗教団体連合会(新宗連、深田充啓理事長)は、九日午後二時から東京・杉並の立正佼成会法輪閣で、第二十一期第八回理事会を開催。新宗連の新しいスローガンとして「信教の自由を守ろう」「宗教協力を進めよう」「世界の平和に貢献しよう」の三項目を決定した。
また、来年度事業計画並びに予算を決定。同事業計画では、「新宗連結成五十周年事業の実施」を中心に据え、「いのち輝く21世紀」の五十周年テーマのもと、各種の記念事業の推進を打ち出している。さらに、「将来構想検討委員会」において、検討が重ねられてきた「新宗連将来構想」が報告された。
会議に先立ち出席者は立正佼成会大聖堂に参拝。つづいて故庭野日敬新宗連名誉理事長の遺骨が安置されている一乗宝塔に参拝した。
このあと理事会会場の法輪閣に移動し、世界の平和実現を祈念し黙祷。ついで、結成五十周年を記念して制作された「いのち輝く」を全員で合唱した。
会場提供の立正佼成会・庭野日鑛会長が歓迎のあいさつ。ついで深田理事長が開会のあいさつを行った。このなかで深田理事長は「本日は二十一世紀最初の理事会となりました。今年一年、新宗連五十年の輝かしい歴史にふさわしい一年となりますよう、皆様方の一層のご協力をお願いします」と述べた。
つづいて、委嘱状の伝達が行われ、新任の田中一嘉・九州総支部事務局長に委嘱状が深田理事長から手渡された。
前回議事録を承認したあと、審議に入り、新宗連第二十二期理事会推薦評議員八十二人の選出を行なった。
企画委員会作成の来年度基本事業計画及び事業計画、会議日程の各案を田澤豊弘企画委員長が提出し原案通り決定した。ついで、酒井教雄財務委員長が来年度予算案を提出、原案通り可決した。
また、第二十五期宗教法人審議会委員に解脱会法主・岡野聖法常任理事と松緑神道大和山教主・田澤豊弘常任理事の推薦を決定した。
ついで、日本宗教連盟役員として、同連盟理事に円応教教主・深田充啓理事長、同参議に妙智會教団会長・宮本丈靖副理事長、パーフェクト リバティー教団教主・御木貴日止副理事長、立正佼成会会長・庭野日鑛副理事長、真生会会長・田中偉仁常任理事、同監事に天谷忠央事務局長、同幹事に斎藤謙次事務局次長を推薦することを決定した。
本年度全国総会の決算が承認されたあと、新宗連の「新スローガン」について審議を行った。
はじめに田澤企画委員長が、新しいスローガンを制定するに至った経緯を説明。ついで天谷事務局長が、新スローガン案の「信教の自由を守ろう」「宗教協力を進めよう」「世界の平和に貢献しよう」を提示し、制定の目的、理由、各項目の詳細について説明し、審議の後、新スローガンを決定した。
つづいて、将来構想検討委員会の本山一博委員が、四ヵ月にわたって同委員会が検討を重ねて作成した「新宗連将来構想検討報告書」を提示し説明した。
将来構想検討委員会は、第二十一期第六回理事会(昨年六月開催)の決議により設置されたもので、「新宗連の将来あるべき姿」について、十三人の委員により検討を重ねてきた。
同構想は、今後常任理事会、理事会の審議を経て、十月十七日の「結成五十周年式典」で発表される。
各種報告では、はじめに結成五十周年事業の進捗状況が報告された。このなかで、四月二十三日、大阪で開催される「五十周年記念シンポジウム」の詳細、記念式典祝賀会、記念誌「新宗連五十年のあゆみ」、宗教問題電話相談室、地球環境保全運動の準備状況が報告された。
ついで、政治委員会、同和推進連絡協議会、「日本人の宗教意識と行動」調査報告書、国際宗教研究所主催公開シンポジウム「生命操作はどこまで許されるのか?」(三月十七日開催)について説明が行なわれた。
また新宗連青年会が十八日から二十五日まで派遣する「第十六次アジア(中国)青年平和使節団」などについて、新井光興委員長が説明した。
最後にインド西部大地震への災害復興支援として、国際救援金から百万円の支出を決定した。
財務委員会(酒井教雄委員長)は、一月二十九日午後三時三十分から兵庫県山南町の円応教本部で委員会を開催、来年度の予算案を審議した。
なお、会議に先立ち、本殿並びに教祖墓所、教主霊廟を参拝し施設の見学を行った。
新宗連近畿総支部(鉢呂神龍会長)は、一月二十六日午後三時十五分から大阪市富田林市のパーフェクト リバティー教団大本庁左脇殿で新年総務会を開催した。
会議に先立ち、パーフェクト リバティー教団教祖奥津城を一同で参拝し、献花を行った。
会議の冒頭、去る十二月二十四日に逝去した近畿総支部総務で和歌山県協議会副議長の管野忠義氏(パーフェクト リバティー教団和歌山教会長)の冥福を祈り、黙祷を捧げた。
ついで、近畿総支部の顧問である深田充啓・新宗連理事長、鉢呂会長、天谷忠央新宗連事務局長がそれぞれあいさつ。深田理事長は、「近畿総支部は新宗連結成五十周年シンポジウムの受け入れもあり、いろいろなご尽力をたまわるかと思いますが、よろしくお願い申し上げます」と述べた。
鉢呂会長は、「会議に先立ち、教祖奥津城を参拝し、一条の光を与えていただいたような気がします。これで、結成五十周年並びに各教団の行く末は、一条の光によって一層深く約束され、新年のお祝いをもらったような気がします。近畿総支部が全国に一石を投ぜられるようにご協力をいただきたいと存じます」と語った。
青年会、各府県の活動報告などにつづき、審議事項に移った。宮尾早雄専門委員長が、二十四日に開催した専門委員会の提案を報告し、逐次審議が行われた。
五十周年記念シンポジウムの受け入れについては、専門委員、大阪府環境委員が中心となって運営することなどが了承された。
結成五十周年総支部記念集会については、二〇〇二年四月から二〇〇三年二月までの間に各府県単位で開催し、総括の総支部集会を二〇〇三年三月に行うことを決定した。
会議の冒頭、中尾照逸・PL病院外科部長から「第九回日本ホスピス・在宅ケア研究会大阪大会(六月三十、七月一日開催)」への協力要請があり、ボランティアや参加者などの協力を了承。具体的協力方法については、五月の専門委員会で検討していくことを申し合わせた。
任期満了に伴う新宗連の総支部推薦評議員の選出については、前期評議員を再選する提案を満場一致で了承。故管野忠義氏の後任総務に猪野洋太郎・パーフェクト リバティー教団和歌山教会長が選出され、承認された。
新宗連旭川地区協議会(平野雄二議長)は十日午後二時から、北海道旭川市内のホテルで平和学習会を開催した。この学習会は、同協議会が「平和」を主題に毎年開催しているもので、今回はWCRP(世界宗教者平和会議)の活動を取り上げた。
学習会では、「平和の祈り」につづき、平野議長が開会あいさつ。つづいて小林克州立正佼成会旭川教会長が「インドで思ったこと」と題して講演した。小林氏は、昨年十二月にインド仏蹟を巡拝、その時の感想を交え、物質的に恵まれた日本社会の中において、宗教者が心の豊かな青少年を育てていくことの重要性を説いた。
ついで、河野公俊WCRP日本委員会事務局次長が講演を行なった。テーマは「世界平和に貢献するWCRPの活動を知ろう」。
河野氏は、「非武装・開発・人権」を中心テーマとした京都会議(一九七〇年)をはじめこれまでのWCRPの平和への歩みを紹介。イタリアで開催されたWCRPY(一九九四年)以降は、紛争和解などにおいて成果をあげてきていることを説明。最後に、「これからは各宗教が個性を生かしながら、相互に調和していく活動が求められてくる」と述べた。
庭野平和財団(庭野日鑛総裁)は、二月十九日に第十八回庭野平和賞を聖職者で教育者でもあるイスラエルのパレスチナ人、エリアス・チャコール氏(六十一歳、カトリック・メルキト派、マー・エリアス学園総長)に贈ることを決定した。
チャコール氏は、ユダヤ人とパレスチナ人の融和を目指し、カトリック・メルキト派の聖職者として、また、教育者として三十余年にわたってイスラエル国内外で活躍してきた。
特に、チャコール氏自身が創立したマー・エリアス学園は、異なる宗教や民族の相互理解の場として機能し、平和を愛する人材を多数輩出している。同学園はキリスト教徒、ドルーズ派、ユダヤ教徒が共に生き、学び合っている。
授賞式は、五月十日午前十時三十分から、東京・新宿のホテルセンチュリー・ハイアットで挙行され、賞金二千万円が贈呈される。
新宗連同和推進連絡協議会(同推協、生田茂夫代表幹事)は、一月二十二日午後一時三十分から新宗連会館で第二回「在日外国人と人権」研修会を開催し、二十人が参加した。
現在、在日外国人は百八十万人を超え、年々増える一方。それにつれて文化、風習の違い、蔑視感などにより、在日外国人に対する人権問題が大きな課題となっている。同推協では、宗教者として「ほんとうの共生きが可能な世界をめざして」この研修会を開催している。
生田代表幹事が開催趣旨を述べたあと、在日韓国人問題研究所の佐藤信行氏が「外国籍住民の地方参政権とは」と題して講演を行った。佐藤氏は、地方参政権を与えることを是として上で、「帰化そのものがハードルが高い上、帰化を参政権取得にする同化政策は間違っている。外国人を制限する法律はたくさんあるが、外国人の権利を銘記した法律はない」と述べた。
また、自らの関わりについて、「私は二十五年間、ほぼ在日社会で暮らしてきたが、日本人としてつらいこともあったが、学ぶことも多く、新しい視点を与えられた。外国人にも住みよい社会は、日本人にも住みやすいもの。共に生き、共に生かされ、信仰者として一人ひとりが大切にしあえることが本当の在り方だと思う」と述べた。
新宗連同和推進連絡協議会(同推協、生田茂夫代表幹事)は、一月二十二日午後四時から新宗連会館で新年度初の定例協議会を開催した。
はじめに、「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議(「同宗連」)が本年、結成二十周年を迎え、四月十一日に真宗大谷派参拝所などで記念式典・記念行事を行うことが報告された。また、三月開催予定であった第三回「在日外国人と人権研修会」については五月に延期することを申し合わせた。
来年度事業計画案については、自由な論議を行い、それらをまとめて三月十五日の定例協議会に提案することにした。
社団法人部落解放・人権研究所(村越末男理事長)は、二月十三日午後一時から大阪市内のホテルで第五十三回総会を開催した。
開会に当たり、村越理事長があいさつ、「『部落問題・人権事典』の改訂版を昨年末に十五年ぶりに発刊することができ、皆さんのご尽力に感謝する。また、長らく提唱してきた国際人権大学院大学(夜間)について、それの実現を目指す大阪府民会議も結成され、第一歩を踏み出すことができた」と述べた。
組坂繁之・部落解放同盟中央本部執行委員長などの来賓あいさつのあと、審議に入った。
二〇〇一年度事業計画案、同役員体制案、同事業計画案などが順次提案され、原案通り承認可決した。事業計画では特に、今年八月三十一日から九月七日にかけて開催される国際連合主催の「反人種主義・差別撤廃世界会議」への積極的な参画をしていくことを決めた。
総会終了後、「部落問題・人権事典発刊の意義と活用について」をテーマに記念シンポジウムが行われた。
新宗連兵庫県協議会(正井啓介議長)は十七日、円応教本部を訪問、五教団三十五人が参加した。
同本部に集合した一行は、十時四十五分から柴田卓也・円応教秘書室長の案内で、本殿、教祖墓所、慈照殿などを参拝、見学。慈照殿では、深田千代子教祖の遺品を熱心に見入った。ついで、五法閣第二錬成室で大西誠・円応教教務部長が、「円応教の教義と沿革」について講義を行った。
記念撮影のあと昼食懇親会。結成して約一年が過ぎた同協議会の一行は、相互理解と学びを確認しつつ、懇親を深めた。
国際宗教研究所(脇本平也理事長)は三月十七日午後一時から、東京・西巣鴨の大正大学・礼拝堂で公開シンポジウム「生命操作はどこまで許されるのか〈人のいのちの始まり〉と科学の介入」(後援・朝日新聞社、大正大学)を開催する。
参加費・一般1000円、学生500円(RIRC会員は無料)。問い合わせ先・03(5373)5855。

「新宗連」が発足してから五十年を迎える。この新しい宗教団体の連合・協力組織が結成されてからの半世紀間に、「新宗連」がなかったならば、考えられなかったような関心や活動を加盟教団が一丸となって展開した。
そのことは、とりわけ宗教と「政治・社会」「平和・国際」問題の領域において注目される。「新宗連」はその当初から、社会志向・平和志向が強かった。
結成後第二回の総会で、宗教協力を実践に移す第一歩として、早くも原爆反対の決議がなされた。翌一九五五年、恒久平和実現を目指す戦後初の「世界宗教会議」が日本で開かれ、「新宗連」傘下の宗教団体の代表者も参加して世界への関心を広げた。
その後、一九五八年に「原水爆禁止宗教者懇話会」に有力な参加団体として加盟し、その事務所を「新宗連」事務局内に置くことを引き受けるが、間もなく原水爆禁止の平和運動に政治的分裂が生じるようになったため、同会から脱退し、原水爆禁止運動に関する「新宗連」独自の展開を推進するにいたった。その手始めが、同年夏、中野公会堂でもたれた「原水爆禁止宗教者の集い」であった。
こうした努力がその後も続けられるが、中でも注目すべきは、一九六三年、「核兵器禁止宗教者平和使節団」に「新宗連」のトップリーダー五名が加わって、核保有国やバチカンなど世界の各地を訪問し、日本の諸宗教間の連携のみならず、世界の諸宗教との出会いを持ったということである。
「新宗連」が平和・反核問題と取り組むに当たっては、その発足以来、既成のいかなる諸教団にもまして真剣な学習活動に励んだという実績がある。
宗教・政治・経済・国際などの諸分野で、当代有数の学者・研究者の応援を得て、度重なる講演や「教団人セミナー」を開催して「新宗連」の指導者や幹部の研修に努めたことは、特筆に価する。
こうした「新宗連」の宗教協力による平和運動の積み重ねと経験が、一九七〇年の「世界宗教者平和会議」(WCRP)の設立と、それ以後今日に至るまでの平和問題における国連との協力活動や、宗教協力による地球的多面的な平和諸活動に直接繋がっていることは、改めて論ずるまでもない。
「新宗連」が核兵器廃絶・軍縮を求める署名を、第二回国連軍縮総会に向けて、三七三〇万余、第三回には一六七七万余を集め、これを携えた平和使節団をおくったことは、驚異の快挙であった。のみならず当時の「新宗連」理事長庭野日敬師はNGO代表として両会議に臨み、総会の場で二度にわたってそれぞれ世界の指導者に宗教の立場から平和を訴えた。
この五十年間「新宗連」は平和のために歩み続けてきたが、今後もより強力に反核・平和のために前進することを祈ってやまない。
新宗連(深田充啓理事長)は、去る一月二十六日、インド西部グジャラート州で発生した大地震による被災者への救援として、九日開催の理事会で、新宗連国際救援基金から百万円の緊急拠出を決定し、「アジア協会アジア友の会」(柴田俊治会長)へ寄託した。
同会は一九七九年に設立された社団法人で、インドをはじめアジア各地で井戸掘りなどの協力活動を推進している。
今回は、同会の現地提携団体RUDYAをとおして、グジャラート州の依頼により被害が大きかった五ヵ村において救援活動を行っており、新宗連からの資金は、ランタンの配布、飲料水確保などの救援活動に使用される。
世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(白柳誠一理事長)は、一月二十五日、東京・杉並の立正佼成会法輪閣で第六十八回理事会・第六十六回評議員会を開催した。
はじめに白柳理事長が開会のあいさつ。その後、来年度の事業計画並びに予算を審議した。
主な事業計画として、今秋、インドネシアのジョグジャカルタで開催されるACRPYに協力する、昨年、創立三十周年を機に設置された、「軍縮・安全保障国際常設委員会」主催による、「CTBT(包括的核実験禁止条約)ニューヨークシンポジウム」開催など。
また、一月十三日、エルサルバドルを襲った大地震の支援金として、平和開発基金から百万円をユニセフに贈呈することを決定した。
諸報告では、三十周年記念事業の中間報告につづき、平和開発基金運営委員会をはじめ、難民、人権、非武装・和解、開発・環境、広報の各委員会から活動状況が報告され、今後、各委員会の活動を充実させていくことを申合わせた。
新日本宗教青年会連盟(新井光興委員長)の第十六次アジア(中国)青年平和使節団の一行九人は、十八日午前十一時五十分、関西国際空港から中国に旅立った。
参加者は力久道臣団長(善隣教)のほか、石倉寿一(大慧會教団)、田野伸二、赤銅聖治、中村三樹(円応教)、小久保正憲、坪井五月男(立正佼成会)、生田茂夫、斎藤京子(事務局)の各氏。
前日の十七日午後一時、大阪府泉大津市内のホテルに集合して事前学習会・結団式が行われた。はじめに力久団長があいさつ、「この十六次の使節団で中国への派遣は最後になります。この使節団で、戦争の知らない私たちが、自分たちの目で見て、聞いて、寒さも体で感じて、魂にきざみこんでいただき、日本に帰ってから、仲間の青年の方々に語れるようにしていただきたいと思います。皆さまと使節団を成功させたいと願っています。」と述べた。
一行は十九日北京経由で瀋陽に到着したあと撫順に入り、今回使節団として初めて訪問する通化、渾江、豊満などで慰霊祭を行い「紀念館」などを見学。二十五日に帰国した。
日本宗教連盟(北條成之理事長)は十四日午後三時から、東京都港区の明照会館で本年度第六回理事会を開催した。
北條理事長の開会あいさつ、諸報告のあと、「任期満了に伴う新役員の推薦並びに学識経験者理事の推薦」について審議を行い、井上順孝国学院大学教授を学識経験者理事に推薦することを決定した。
また、来年度の会議日程の検討を行ない、参議会を四月十九日に開催することを申し合わせた。
大阪市天王寺区の妙道会教団(佐原慶治会長)は、二月四日午前十時三十分から、昨年十一月に落慶した本部大聖堂で立教五十年祭を厳修した。式典が行われた大講堂は、一階、二階ともに参列した会員で埋め尽くされた。玄題三唱で開式。開扉、和服の女性六人による献燈、佐原理事長による鏡餅奉献の儀ののち、佐原会長が入座、祭文を奏上した。
読経、導師位授与、教会役員委嘱の儀ののち、参列者が目を閉じ「静想のとき」。照明が落とされ、音楽が流れる中、ナレーションで、両聖師の教えの導きに感謝を述べるとともに、この五十年があらたなる出発の時であり、年頭に掲げたスローガンである「『五十年の歴史(とき)を刻み、大法宣布に躍進』しましょう」と力強く会員に呼びかけた。
場内が明るくなると、大講堂に大きなスクリーンがあらわれ、立教五十周年を記念して作られたビデオ「妙の道」を上映。両聖師が立教するまでの歴史、昭和二十六年二月四日の立教、聖地建設、そして昨年十一月二十六日の大聖堂落慶など教団のあゆみが紹介された。
ついで、佐原会長が登壇し「ご教示」を行った。
「五十周年のめでたい日を迎えさせていただきました。昭和二十六年二月四日に教団が立教されまして、五十年。今日は心からの喜びと感動で迎えさせていただいています。五十年は、百年でいうと折り返しの地点になっています。妙道会教団は、大聖堂をいただきまして、世紀の幕開け、五十年という折り返しとして、新たに立教されたのだという強い自覚を持って迎えさせていただいています」と述べた。
また、立教当時を振り返り、当時は、食事をとることも忘れ、導きに歩いていたことから、両聖師がうどんを支部長や会員に振る舞ったと語り、「今日の教団の基礎を作り上げた両聖師、支部長のみ心を忘れないように」と訴えるとともに、「私は一日一日を皆さま方と世のために御法の中に生かさせていただきたい。何としても会員のお心を救いきっていこうと言う気持ちです。大聖堂をさらなる飛躍発展の場にして、五十年の妙道会教団を輝かしいものにしていきたい」と決意を語った。
最後に「皆さまは信仰の思いを一段高めていただき、発展のために一層のご精進をお願い申し上げます」と訴え、深々と頭を下げると、場内から割れんばかりの拍手が沸きおこった。
妙道会歌斉唱のあと、宮尾早雄常務理事の発声のもと、五十周年を祝い、万歳三唱を行い、参列者全員で「聖訓」「三大誓願」を唱和した。
なお、式典終了後、立教五十年祭の祝いとして、会員に両聖師の立教の事績にちなむ供養として「おうどん」のセットや酒、餅が配られた。
名古屋市東区の神ながら教(水野富久子教主)は、一月二十五日正午から本部大広前で「教祖生誕一一八年祭」を挙行した。
同教の教祖・水野房師は一八八三年(明治十六年)のこの日、広島県三原市で誕生。一九一一年に天啓に接し救済の道を歩み始めた。四八年同教を創立。七〇年七月二十四日に逝去した。
神前に雅楽が流れる中、斎主の水野教主と斎員が入場して開式。修祓、献饌につづき水野兼辰総監が祝詞を奏上。水野教主をはじめ、来賓、各教会代表者が玉串を奉奠した。ついで一同で「讃仰歌」を奉唱したあと、生前に録音された水野教祖の講話を拝聴した。
水野教主は「みさとし」を行ない、「教祖様はご昇天されたあとも、多くの信者をお救いなされております。私たちは日々数々の試練に遭遇しますが、それは神様からの修行であり、それを乗り越えていくことは信仰者のつとめです。そのためには、教祖様のみ教えに従い、教えを生活の中にあらわしていくことです」と述べたあと、「今年一年、皆様とともに試練を乗り越えて行きたい」と新年の決意を表明した。
大阪府枚方市の天顕山晃妙寺(松本晃芳教主)は二、三の両日、本部本殿で星祭節分大祭を執り行った。
二日午後六時からは「星祭」。松本教主の導師による読経供養のあと、団扇太鼓に合わせて題目が唱えられる中、松本教主が九星で本年の「黒星」にあたる祈願者などの名前、年齢を読み上げながら、除災求福を祈願した。
また、境内の一角で信者各家から寄せられた護摩木が焚き上げられ、所願成就を祈願した。
翌三日は、午前十一時から「星祭節分大祭」が営まれた。読経供養、本年の「黒星」などにあたる祈願者の徐災を祈念した。裃姿の信者代表が「御神酒」を拝受したあと、参列者に向かって一斉に福豆をまいた。
愛知県知立市の法公会(榊原法公会長)は、四日午前十時から節分厄除祈願祭を執り行った。
聖仏舎利宝塔、教祖殿での読経のあと、本殿で厄除祈願の読経を行った。ついで婦人部が「御詠歌」を奉納した。
昼食休憩後、榊原会長が法話に立ち、「お釈迦様は『財産を失うは小なり。失の大なるは、智恵を失うことである』と説かれました。『智恵』とは、人のために生きることであり、人に役立つことです。『智恵』を失った人間は、自己中心の生き方になって行きます」と述べた。
このあと厄年の男女十四人が裃をまとい、豆まきを行なった。
神奈川県伊勢原市の思親会(飯島正三会長)は、十一日午前十一時から、大宮殿・大孝堂で開教六十三周年記念式典を挙行した。
棲神壇上に玄題旗・支部旗などが並び、荘厳な雰囲気のなか第一部が開幕した。全員起立して開教讃歌を斉唱、献花献香の儀ののち、飯島会長を大導師に四人の式員が入場して読経供養した。
昼食・休憩をはさんで第二部が開幕。全員で会員綱領唱和ののち、辞令の交付が行われ、高橋愛子・銚子支部長と鈴木義久教務室長が新たに理事に任命され、飯島会長から辞令が手渡された。
本尊授与式が行われたあと、厚木支部の安藤真美さんが会員を代表し「いま必要です この教えが! 法華経の行と導き親の慈悲」と題して法話を行った。
このあと、飯島会長が親教。幾多の困難を乗り越えて、一九七二年(昭和四十七年)四月に現在地に本部施設を移転、思親大宮殿を建立した当時を振り返り「清行大士様からこれほど素晴らしい体験をしたことはなかったと喜ばれた。思うようにいかないからといってそれはマイナスではない。それが自分にとって大切なことと受け取っていかなければなりません」と力強く語った。
また飯島会長は「思親と妙法は表裏一体です。妙法即思親。これを胸に、導き、声かけに精進してください。いのち輝く二十一世紀を作りましょう」と呼びかけた。
東京・四谷の解脱会(岡野聖法法主)は十一日午前、埼玉県北本市の「御霊地」で「第六十二回太陽精神碑建立記念祭」を執り行った。
まず、午前十時から太陽精神碑前で第一部「太陽精神碑前之儀」が行われた。午前十一時に“お山”での式典が開式し「君が代」「太陽精神碑の歌」を一同で斉唱したのち、生前に録音された解脱金剛尊者(会祖・岡野聖憲師)の「み声」を拝聴した。ついで、岡野法主が誓願文を奏上した。
このあと、岡野法主が式辞「太陽は我々に注ぎ与え、何も求めない。まさに神仏の御心そのものであります。会員の皆様、今こそ太陽からの限りない恩恵に感謝して太陽精神碑に自らの魂を刻み込み、多くの人々に勇気をもって伝達してまいりましょう」と述べた。
来賓祝辞・祝電披露のあと会歌斉唱ののち、万歳三唱をもって式典を終了した。
直会の模擬店では「御霊地」名物「五色うどん」と粟・麦・小豆などが入った「五穀がゆ」が人気を集めていた。また「天茶」を主成分とし、信州信濃・黒姫山麓で育った「よもぎ葉」を精製し配合した入浴用天茶パック『天茶のお風呂』が発売された。
東京・西新宿の大日然教(折茂美枝代表役員代務者)は、十九日午前十時三十から、本部大広前で、故折茂正光教主の三年祭を執り行った。
定刻、太鼓の音が開式を告げ、折茂美枝祭主にならって参列者一同で「大日然教奏上詞」を奉唱、祭主に代わって酒井竹二郎報恩会会長が「三年祭詞」を奏上した。
ついで、関信佳責任役員と眞塩秀子新宗連事務局員が、偲び言葉を述べて遺徳をたたえたあと、一同で大日然教奉唱歌を斉唱した。
このあと祭主の折茂代表役員代務者、報恩会代表、来賓の順で玉串を奉奠した。
神事のあと、鈴木隆太郎元新宗連事務局長が、故折茂教主を偲んで講話した。
東京都江東区の敬心会(吉田霊朝教主)は、二日午後六時から本部神前で、初午大祭を執り行った。初午祭は二月最初の午の日に「稲荷大神」に五穀豊穣を祈念するもの。
定刻、吉田教主が臨席して、祭員が入場して開式。参列者が低頭するなか、祭員が大祓祝詞、天地清浄祓祝詞、五社稲荷祝詞を奏上。祭主の山本道雄責任役員が信者の商売繁盛、家内安全を祈って「御神刀」による「霊光霊力祈念の儀」を行った。
祭主の玉串奉奠、参列者全員による「敬心会モットー」の奉唱、巫女舞の奉納につづいて、吉田教主が厄病災封じのお守り札を信者一人ひとりに授与し、ついで講話を行った。
「いくら胃腸が丈夫だからといって動かないで働かなければ病気になってしまいます。お稲荷さまは『衣食住』、私たちの暮らしに必要なものを守って下さいます。食べ物に不満を言って病気にならぬよう日々感謝を捧げていただいてください」と述べた。
小憩のあと直会となり、なごやかな雰囲気のうちに、参列者は一年間の精進を誓い合った。
愛知県知立市の法公会(榊原法公会長)は、四日午前十時から節分厄除祈願祭を執り行った。
聖仏舎利宝塔、教祖殿での読経のあと、本殿で厄除祈願の読経を行った。ついで婦人部が「御詠歌」を奉納した。
昼食休憩後、榊原会長が法話に立ち、「お釈迦様は『財産を失うは小なり。失の大なるは、智恵を失うことである』と説かれました。『智恵』とは、人のために生きることであり、人に役立つことです。『智恵』を失った人間は、自己中心の生き方になって行きます」と述べた。
このあと厄年の男女十四人が裃をまとい、豆まきを行なった。
東京・代々木の妙智會教団(宮本丈靖会長)の節分追儺式は、三日午後一時から、本部本殿大講堂で挙行された。
宮本会長が導師となって読経。来賓を代表してアムプロゼ・ビー・デ・パオリ・ローマ教皇庁特命全権大使、古賀誠・自民党幹事長が祝辞を述べた。
エルサルバドルとインドの地震における犠牲者の冥福を祈って黙祷したあと、インド地震災害救援金を東郷良尚・日本ユニセフ協会専務理事に贈呈した。
ここで宮本会長が指導、この日までの十五日間にわたる寒修行を振り返り、毎朝読誦した法華三部経について「六万九千三百八十四文字の法華経の一文字一文字はみな金色の仏なのです。その仏を唱えさせていただいたのは何よりも幸せでございます」と述べた。
追儺の儀に移り、まず、宮本会長が須弥壇に向かって豆をまき、つづいて、教団役員、来賓を交えて、特設のステージで威勢良く豆まきが繰り広げられた。
三重県上野市の天真教(神出修二教主)は、四日午前十時から、総本部・平安城神殿で星祭祈願祭を執行した。
修祓、大祭祝詞のあと、神出教主が家内安全、交通安全などを願う信徒の名前を一人ひとり読み上げ、一年間の除魔招福を祈った。神楽舞の奉納、玉串奉奠につづき、「無一空一我無也」と参列者全員で天真大真義文を繰り返し唱えた。ついで、豆まきに移り、剣持、槍持が外に向って「鬼は外」と豆をまいたあと、祭員が参列者に「福は内」と一斉に豆をまいた。
昼食後、恒例の「初笑い福引大会」が行われ、楽しいひとときを過ごした。
東京・池袋の修養団捧誠会(出居茂総裁)は、三日午後二時から本部・平和郷「ご神前」で追儺式を斎行した。
面と衣装をまとった「お福さん」を先頭に出居総裁、教団役員、歳男歳女が入場。礼法、開式の辞についで出居総裁が「いのりのことば」を、平賀清隆顧問が「教祖礼拝の詞」を奏上した。修祓の儀、玉串奉奠についで出居総裁が「おことば」を述べた。
出居総裁は、「当たり前に思うことの中にも、よく考えてみますと、一つひとつ反省すべきこと、感謝すべきこと、実行すべきことがあります」と述べ、参列者に一層の精進を呼びかけた。
「福を頒つ」の儀式に移り、出居総裁の「鬼は反省、内は感謝、福は実行」の掛け声を合図に、歳男歳女、役員が参列者一人ひとりに福豆、みかん、餅を手渡した。
東京・三鷹の玉光神社(本山博宮司)は、三日午後二時から節分祭を挙行した。
本山一博権宮司が斎主をつとめ、修祓、降神願い、献饌、祝詞奏上を行った。つづいて参列者全員で大祓詞を奉唱し、斎主と信徒代表が玉串を奉奠した。このあと斎主による昇神願い、教祖・豊玉照妙光之神参拝が行われた。
参列者全員の玉串奉奠につづき豆まき。本山権宮司が神前に供えられていた福豆の大枡を白装束に身を包んだ歳男に手渡し「鬼は外」の掛け声とともに、神殿、境内各所で豆まきを行った。
講話を行った本山権宮司は、「この節分祭で、ここでお招きした神様をご自分で感じていただきたい。皆さんの霊性で感じることが大切です。自分と神様が一瞬でもつながっていると感じるよう、教義の勉強をしたらその分神前で拝んで下さい」と述べた。
北海道帯広市の日本神宮本庁(中島秀典管長)は三日、午前八時三十分から午後七時まで、帯広明神大社で節分の「厄祓い祭」を斎行した。
同大社には朝から今年厄年を迎えた人々が多数訪れ、開始時間を予定より三十分早め行なわれた。五人の神職の前に祈願者が一人ずつ座り、人を形どった厄除けの形代(かたしろ)に三回息を吹きかけ、無病息災を祈願した。
同大社には厄年にかかわらず参拝に訪れる人が多く最近は若い人が増えてきている。
東京・杉並の立正佼成会(庭野日鑛会長)は三日、午後一時から本部大聖堂で節分会を執り行った。
会員綱領唱和、会歌斉唱ののち庭野会長を導師に読経供養が行われた。つぎに庭野会長が法話。「私たちは創立六十年を迎えた日から『心田を耕す』を目標に今日までまいりました。『福は内』と心を耕し、仏さまの人生を生きていく知恵としての種をまく。旧年最後の日のしめくくりとして迎えた節分で、皆様とともに仏さまの教えに基づき、心の幸せにむけ教えの種をまいて行くとお誓いをしたいと思います」と語った。
つづいて毎年恒例の赤、青、黒の鬼のコントで会場が笑いに包まれる中、鬼たちの合図で参拝者全員で「会場先生」の掛け声。再び庭野会長が裃姿で登壇。本尊に向かい「福は内」の発声とともに豆をまいた。つづいて酒井教雄理事長、役員、歳男が一斉に豆をまいた。
大阪府堺市の大慧會教団(石倉恒男会長)は、三日午前十一時三十分から本部・本殿講堂で開教五十周年・第五十回節分祭を執行した。点鐘で開式、会歌の斉唱などについで、石倉会長が登壇して慶白文を奏上、「仏さま、菩薩さまの大願は法華経の流布であり、法燈継承であります。開教五十周年の本年、大慧會教団はこの法燈継承をもって決定とします」と述べた。
石倉寿一青年部長が導師となって参列者全員で大乗経典を奉読。つづいて、石倉会長が刀身に「妙法蓮華経如来寿量品第十六」の偈が刻まれている真剣で「御究呪の法」を参列者に授けた。会員代表による決定表明のあと、石倉会長が法話を行い「開教五十周年にあたり、バッチを作成しました。法華経を受持する者の証として誇りをもって進んで下さい」と述べた。
このあと、石倉会長夫妻、副会長らが、「南無妙法蓮華経、福は内」という掛け声で、「福寿豆撒の儀」を行った。
大阪府羽曳野市の天心教(天元教主)は、三日午後二時から古市本庁で星祭節分祭を斎行した。
参列者全員が玉串奉奠、天元教主、歳男、歳女による豆まきのあと、厄除けのぜんざいが参列者に振る舞われた。
このあと、天元教主が講話。「現在は、素直な心がなくなっているように感じます。初詣ではお参りした後方で騒いでいるなど、信仰が行楽化している風潮があります。本筋を守っていただいて、よき伝統の心、よき信仰の実践をしていただくことが神様孝行になると思います」と述べた。
つづいて、天元教主、斎員が神前脇の護摩壇を囲んで座り、信者から寄せられた護摩木、人形(ひとがた)一体一体に所願成就の祈りを込め、焚き上げた。
仙台市青葉区の大和教団(保積秀胤教主)は三日、数日前に降り積もった四十六年ぶりの大雪が残る中、大和神光殿と大國神社で三回にわたり節分祭を斎行した。
開祭詞の奏上、「君が代」斉唱のあと、斎主を務める保積教主が祝詞を奏上し「祈願読み上げ」を行った。ついで弓矢の儀、豆打ちの儀により四維十俵が祓われた。
豆まき行事で、「お大國さま」の衣装をまとった歳男歳女が福豆や菓子をまき始めると、参拝者と入り混じって、会場は大いに賑わった。
大阪市生野区の三輪神道宏充教(吉川允恵管長)は、三日午後八時から本部神前で星祭り節分祭を執り行った。
修祓、祝詞奏上のあと、厄除祈願の人形(ひとがた)約二千体の前で吉川管長と吉川仁紹総監が般若心経を奉唱。吉川管長は人形を手にして「エイー」と「くじ」を切り、祈りを込めた。神前には、一白、五黄など九星の書かれた三宝上に福豆が供えられ、式典後、参列者に生まれ年の福豆が授与された。
このあと、奉書紙で包んだ人形を吉川管長、吉川総監をはじめ信者代表が車で淀川に掛かる長柄橋まで運んだ。大祓詞、般若心経を奏上したあと、人形を橋から淀川へ投げ入れた。
東京・四谷の解脱会(岡野聖法法主)は三日、全国の直轄道場で節分会を挙行した。
本部道場では午後一時から、地元荒木町・三栄町の町会役員らも招いて行われた。教団、町会の歳男歳女が入場し、神前に整列。全員で拝礼したあと、稲子知義内務局長と町会代表があいさつした。豆撒式にあたり舘野辰之助常任理事が、「福をつくるのも、鬼をつくるのも自分の心です」と、同会独特の豆まきの掛け声「三声、一声」の手本を披露した。このあと裃姿の歳男歳女が神前に供えられた枡を手に場内に分かれ、威勢よく福豆をまいた。
愛知県豊川市の世界心道教(会田政美教嗣)は、四日午前九時三十分から三回にわたり、節分祭を斎行した。斎主の会田教嗣による榊の舞、祝詞奏上、「星祭り祈願」「種物のおさずけ」が行われ、大祓い、むほん祓いづとめが執り行われた。いよいよ豆まき。参列者一同が起立、斎主にならい四方、八方に向かって豆まきの所作を行った。
このあと、会田教嗣が教話に立ち、「鬼は外といっても皆様の心の鬼が怖いのです。今日はここで『鬼は外』と言って豆まきしたので、すっきりされたと思います。日々懺悔をしていただいて求道の道を歩んでまいりましょう」と語った。このあと、福豆と「お下がり」の景品の抽選券が配布された。
群馬県箕郷町の救世真教(新井三知夫会長)は、三日午前十時から本部・救世殿(みろくでん)で節分祭を挙行した。誓い・信条唱和、献饌、玉串奉奠につづき新井会長が節分祭祝詞を奏上。ついで参列者全員で天津祝詞、善言讃詞を奏上した。
「御教え」に立った新井会長は「節分の節は『節度』を守ること、きまりを自分に言い聞かせることです」と述べた。
このあと新井会長、祭員、歳男によって賑やかに豆まきが行われた。
岐阜県岐阜市の真生会(田中偉仁会長)は四日、総本山真生寺で厄除け節分祭を執行した。午前十時半、妙法蓮華経如来神力品第二十一を読誦する中、無病息災・心願成就を祈念し、「護摩供養お焚き上げ」が行われた。
このあと厄除け祈願祭に移り、田中会長を導師に読経供養を行い、「自己の改革、改造」を積極的に行い社会に貢献する人生を念じ、回向文を読み上げた。
休憩をのあと、「福豆まき」。近郷近在から大勢の参拝者が訪れ、「福は内、福は内」の掛け声で福豆がまかれた。
同宗連(『同和問題』にとりくむ宗教教団連絡会議・西田伊太郎議長)は二月六日・七日の両日、東京・杉並の立正佼成会第一団参会館と東京・東村山の国立療養所多磨全生園で、「ハンセン病の差別に学ぶ」をテーマに第三十九回「同宗連」研修会を開催、同宗連に加盟する十七教団と一協賛団体から四十三人の宗教者が参加した。
六日午後一時、第一団参会館で開講式。黙祷のあと、全国ハンセン病療養所入所者協議会の神美知宏事務局長が「日本のハンセン病対策と患者の人権」をテーマに基調提言を行った。
神氏は、ハンセン病について「感染症の中で最もうつりにくいものの一つだが、外観上、顔面や手足に後遺症が現れるので、当時日本では『文明国にふさわしくない』と国立療養所に隔離してきた」と歴史的経緯を述べた。
さらに、日本でハンセン病対策が開始された一九〇七年(明治四〇年)から、廃止される九六年(平成八年)まで、一貫した国の隔離政策があったと解説した。
その結果、「患者や元患者は差別が親族に及ぶのを恐れ、療養所内で偽名を使わざるを得なかったり、園内で結婚する条件として子どもができないように断種手術が強要され、社会と断絶し、人間性を抹殺された生活を強いられたのです」と述べた。
また、「現在全国の十三の療養所で四千五百人が暮らしているが、平均年齢は七十四歳。毎年およそ二百五十人が亡くなっているが、人間の尊厳が回復されなければ『死んでも死にきれない』のです」と予防法は廃止されたにもかかわらず依然として社会に残る差別・偏見の撤廃を強く訴えた。
つぎに元患者たちの証言をまとめたビデオ「見えない壁を越えて」を鑑賞、グループディスカッションを行った。
翌七日、午前八時三十分に第一団参会館をバスで出発し、国立療養所「多磨全生園」を訪問。平沢保治・全生園入園者自治会会長が「人として人間として生きる」をテーマに講演。
この中で平沢氏は「現在私は、地域の障害者問題に取り組んだり、小・中学校から社会学習に訪れる子どもたちとふれあっています。しかし、かつて患者は『らい』という烙印を押され、『病人でなく罪人』扱いをされた。病気が治っても定められた地域で自らの命が終わるのを待つしかなかったのです。病人でしかも障害を持ちながらも重病人を二十四時間体制で看護する矛盾に疑問を感じた。それ以来、医療行政による看護を中心とした生活が確立されるまで自治運動に取り組んで参りました」と、戦前戦後にわたる全生園での半生を振り返った。
「現在、多くの元患者が高齢のため過去を語る力を無くしていますが、今、私はどんな状況にあっても『人生に絶望はない』という心境に至っています。人は支えあい、助け合い、生きているのです。生きることが死ぬよりもつらい人生を送ったからこそ、人を愛し、手を差し伸べる生き方を学ぶことができたのです」と語った。
このあと参加者は、納骨堂を参拝、故郷に帰ることなくこの地で生涯を終えた元患者の墓前に花を捧げた。引き続き、参加者は高松宮記念ハンセン病資料館を見学した。
一月二十六日、インド西部グジャラート州を襲った大地震に対し、これまで新宗連に連絡があったNGOの救援・支援活動を紹介する。
▼JEN(旧称・日本緊急救援NGOグループ)
震源地のブージ市周辺で実態調査を開始。周辺村や幹線道路から離れた村を訪問、自宅近くに留まり、住宅を必要としている被災者の状況を現地NGOと共に調査中。また、仮設テント設置支援を予定。寝具、調理器具の配布を検討している。電話03(5332)9825
▼シャプラニール=市民による海外協力の会
グジャラート州の三県で三月末まで最も弱い立場の被災者約二万人を優先的に支援する。現地NGOに緊急支援金を送金、二十二日に調査の帰国報告会を行った。今後食料、飲料水、医薬品、ロウソク、バッテリーなどの配布とカウンセリングを行う。電話03(3202)7863
▼被災地NGO恊働センター
十二日から第一次先遣隊が現地視察を実施。三月二日午後六時から、神戸YMCA国際センターで帰国報告会を行う。また、募金とあわせて「1(ワン)コイン運動」を呼びかけ、身近な所に募金箱を設置し、手持ちのコインを出し合う、市民による災害救援を行っている。電話078(574)0701
▼(社)アジア協会アジア友の会
現地NGO二団体を通じ支援活動を展開。その一つRUDYAは州政府に地域五ヵ村の状況視察と救援活動を要請され、最も被害の甚大なバチャウ、アルマサ村で、持参した米などの食料、防寒衣料、毛布、一時非難防水テントなどを配給した。電話06(6444)0587

金子昭さんは、新宗連とコルモス(現代における宗教の役割研究会)が四月二十三日に大阪で開催する、シンポジウム「21世紀日本の宗教を考える」のパネリストの一人である。
父親は奈良県内の天理教の教会長で、かつては天理図書館に司書として勤めていたこともあり、金子さんは天理生まれの天理育ち。まさに「周りの環境は、天理教ばかり。妻は『幼稚園、小・中・高校の同窓生となかなか会うことができないのに、あなたはいつでも会えるから』と驚いていました」という具合。
しかし、青年時代の金子さんは、そんな環境に適応できず、「とにかく天理から離れたかった」という。
「葛藤しながら天理の教えと繋がっている」状況の中で、やがて高校を中退し、大学検定で慶応大学文学部に進学した。
大学では最初、宗教学を専攻する予定だったが、慶応大学の宗教学は、どちらかといえば社会学に位置付けられており、金子さんのイメージとは違い、哲学の実践部門としての倫理学を専攻した。
「当時の倫理学のスタッフが全員クリスチャンで、キリスト教倫理学、宗教的倫理学が学べたことが良かった。また、いろいろな宗教の勉強もできたが、なかでもキリスト教神学を学べたことで、キリスト者の方と話が通じるようになった」と語るように、東京での生活は大変充実していた。
一度は天理を離れた金子さんだが、博士課程を修了して再び故郷に帰り、天理大学おやさと研究所助手を経て、現職に至っている。今では天理やまと文化会議委員、天理教社会福祉研究会委員なども務めている。
「私自身、今でも葛藤しながら天理の教えと繋がっています。教団も教会も生き物であり、元気で活動するばかりではなく、冬眠が必要な時も出てくるかもしれません。環境との関わりで自ら生命体として新陳代謝していくことが大切です。教団組織は決して絶対ではありませんし、運営するのは生身の人間ですから、常に緊張関係を持って教団と社会の接点、社会の動きと天理教がどう関わっているかなどを考えるべきでは」と語る。
一昨年、「天理人間学総説〓新しい宗教的人間知を求めて」という書を著したが、「『天理教』とせず、『天理』としたのは、『教』が入ると御用学になるから。生身の人間が超越的な原理である天理、つまり天の理法から人間を見るということに重きを置いたのです」というように、金子さんにとっては、組織から人を見るのではなく、一人の宗教者として人を見るのが重要であるようだ。
宗教者として、研究者として真摯に生きる金子さんにささやかな趣味がある。
それは一人息子とオオクワガタやカブト虫を飼うことである。小さな頃から天理の周りの里山で虫を採っており、今飼育しているのも全部近くで採って来たものばかりという。
「でも、小さな頃から比べると里山が少なくなってしまって…」と環境の悪化にも思いを馳せる。(弾)
以上は新宗教新聞の抜粋です。一部紙面と内容が異なる場合があります。ご了承ください。
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