宗教新聞について

平成18年3月5日


 梅まつりが行われている東京・文京区の湯島天満宮(天神)に、二月十八日の土曜日、出掛けた。本殿横の白梅はほぼ満開だったが、紅梅はまだつぼみ。例年より二週間ほど遅れで、三月上旬から中旬が見ごろのようだ。境内には舞台が設けられ、あでやかな衣裳の女性たちがフラダンスを奉納していた。見物客も中高年を中心に結構多い。学問の神様らしく、合格祈願の絵馬が山のように掛けられていた▼御祭神は天之手力雄命(あめのたじからおのみこと)と菅原道真公。雄略天皇の勅命により、御宇二年(四五八)の創建と伝えられ、正平十年(一三五五)に郷民が菅公の偉徳を慕い、文道の大祖と崇め勧請し合わせて奉祀した。文明三年(一四七八)に、太田道灌が再建し、天正十八年(一五九五)に徳川家康が江戸城に入るに当たり、豊島郡湯島郷の朱印地五石を寄進。湯島聖堂を昌平坂に移した徳川綱吉も、文教の中心として湯島天満宮を崇敬したという▼本来、天神とは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神を指すものではないが、菅公が火雷天神と称されたことから雷神信仰と結びつき、天神信仰となる。藤原氏ら貴族は雷を菅公の怒りと信じ、怖がったが、農民には雨をもたらす恵みの神だったという▼やがて、学問における事績や人柄の良さから、菅公は文学や詩歌、書道、芸能の神として崇められるようになる。さらに、天神信仰を中心に各地に天神講などが普及し、全国各地に天神、天満宮が建立されたので、今や私たちはどこでも天神さんに出会える。

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