宗教新聞について

平成17年9月20日

 天地子の暮らす田舎では、近所の人たちの手によって自宅で葬式を挙げる習慣がある。班と呼ばれる身近な家からは二人、それ以外からは一人が手伝いに出て、祭壇の設営から受け付け、食事の世話、親戚の接待まで行う。それが近年、喪主に当たる子供が都会に住んでいる場合、葬祭業者の会館を利用するようになった。同居していても、家の中の状態がすべてあからさまになることから、若い夫婦の間で自宅での葬儀を避ける傾向が強まっている▼先日、九十近くの男の独居老人が亡くなった。自治会の葬儀では、いつも火葬場から戻った遺骨を前にお経を上げてくれたので、なくてはならない人だった。遠く離れた都会に住んでいる長男は、通夜から告別式まで会館でしようとした。ところが、それではあんまりだという近所の人の声に押され、通夜だけ自宅で営んだ。病院から一度は自宅に帰ることができ、親しい近所の人たちに囲まれ故人も満足だったのではないか▼都会では、マンションのエレベーターにひつぎが入らないなどの理由で、病院から会館に直送される遺体が増えている。もちろん、近所の人が手伝うこともないので、葬送儀礼をめぐる共同体は既に崩壊している。葬祭業者の中には、各宗派のお経を読める社員を養成し、僧侶抜きの葬儀を営むところもあるという▼加地伸行大阪大名誉教授は「死並びに死後について説明するもの」と宗教を定義するが、その重要な葬祭が宗教抜きで行われようとしていることに、宗教者はもっと危機感を募らせるべきだろう。もっとも、天地子の自治会でのもっぱらの心配事は、次に葬式があると誰がお骨を迎えるお経を上げるかだ。

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