宗教新聞について

平成17年10月20日

 五木寛之さんの『百寺巡礼』が第十巻「四国・九州」で完結した。四国で訪ねているのが、鳴門市にある四国八十八カ所一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)と空海が建立したとされる香川県の善通寺。七十五番札所だが、元禄時代の記録では一番になっていたという。空海に敬意を表してのことだろう。地元では空海というより弘法大師、親しみを込めて「お大師さん」と呼ばれる。何しろ、空海が改修の指揮を執ったとされる満濃池は、今も多くの水田を潤しているのだから▼八十八カ所を巡るお遍路さんの白装束は死出の旅姿。江戸時代にはその通り、遍路が行き倒れになる人も多かった。四国遍路が庶民の間に定着したのは江戸時代だが、明治から戦後の復興期に掛けてはほとんど姿を消し、バブル崩壊のころから増えてきたという。富国強兵や戦争、高度経済成長の時代に、お遍路さんは似合わない。今は一人ひとりが自分の生き方を見直す時代を迎えているのだろう▼伴侶の死やリストラ、自分探しと遍路に出る理由はいろいろあろうが、五木さんは「四国から呼ばれた人」なのだろうと言う。他力らしい表現だが、案外、信仰とはそういうものなのではないか。これこれの動機で信心するようになったと説明は可能だが、どこまで話してもそれは部分でしかない。結局は、神や仏など、向こうから一方的にやってくるものが圧倒的だ▼でも「四国に住んでる人」はどうなのか? わが先祖は義経の家来で、平家追討のため讃岐にやって来たものの、そのまま居ついてしまい……、とこれも説明は可能だが、どうもしっくりこない。やはり「四国から呼ばれた」と思うことにしよう。


↑ PAGE TOP