宗教新聞について

平成17年12月5日


 京都大原三千院は予想以上に広大で、山門に至る道には土産物屋が並び、ひなびた山寺と思っていたのを修正させられた。開門は朝八時半なのに、七時半ころにはたくさんの人が待ち構えている。紅葉で人気の寺だから、これも仕方あるまい。あまり待たせては気の毒だと、八時過ぎには門が開いた▼三千院は比叡山延暦寺を開いた伝教大師が、東塔南谷に草庵を最澄が開いたのが始まり。梶井門跡とも呼ばれ、古くは東坂本に里坊があった。中世以降、大原魚山の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に政所を設けたのが前身で、明治になって三千院と称するようになった▼大原は、平安時代初期、中国五台山に学んだ慈覚大師円仁が五会念仏を伝えたことから、声明梵唄の発祥の地となった。魚山来迎院を開いた良忍上人が天台声明を集大成された地でもある。また、往生極楽を願う人々の隠棲の地として、念仏聖による念仏が盛んに唱えられ、天台浄土教の聖地となったという▼同じ紅葉を目にしても、修行僧はそこに浄土を見ようとしていたのだろう。心の中に留めればいいものを、一斉にカメラに収めようとする行為を、何か空しく思う。中には三脚を立てて注意された人もいた。もっとも注意する僧も申し訳なげで、聖と俗の距離に戸惑っているかのようだった▼建礼門院が晩年を過ごした寂光院は、二〇〇〇年に放火のため焼失した本堂が、六月に建て替えられていた。これも、真新しい寂光院はイメージに合わない。もっとも山門から見る紅葉は見事で、自分勝手な中年男の孤独を慰めてくれた。



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